2009年10月上旬 精神状態やばくなる [【回顧録】借金と離婚のいきさつ]
2009年10月上旬
週に1〜2回、神社に通う日々が続きました。
しかし状況はまったく変わらない。
いや、むしろ悪くなってる?
自分のデザインの仕事はいつもの5割増しくらい、
しかし元オットの収入は5割減、それ以下。
仕事をやってもやっても、赤字補填にまわっていく。
融資の返済残高は2000万円以上、追加融資は受けられない。
もうこれはダメだ、もたない。
自宅マンションは私の単独名義、
でもまだローンが2500万円近く残っている。
どうしよう。
社長は会社の連帯保証人なので、
会社がつぶれたらその債務は個人にくる。
融資返済できなければマンション差し押さえ?
家を競売で売ったとしても、融資はとても支払いきれない。
子どもはまだ小学4年生。今から安いアパートに引っ越す?
そうだ、私名義のマンションなんだから、
私が死ねば全額団信から払われるんだ。
そしたらマンション売却して、融資の返済ができる。
この頃、もう既に、人生の価値は「お金」が基準、
という状態になっていました。
「お金があること」=善
「お金がないこと」=悪
そういう図式。
その借金が、誰が作ったものか、なぜ出来たのか、
なんてことは冷静に考えることができず、
とにかく会社代表者としての責任を果たさなければならない、
そうしないと子どもたちを守れない、と考えたのです。
社長でありながら母である、どちらかを守るとしたら、やはり子どもたちです。
家庭の破綻はなんとか避けたかった。
できれば、両親、子ども全員が元気でいることが望ましいのですが、
こうなったらやむを得ない、
私がいなくなれば、子どもたちを守れるんだ。
守るために、死ぬんだから、いいんだ。
今考えるとめちゃくちゃです。
自殺した母親を持つ子どもが、
その後どれだけ辛い人生を送ることになるかなど
考えもしなかったのです。
一応子どもたちにも聞いてみました。
「もし、この家でてアパートに引っ越すことになったらどう思う?」
子どもたち
「家族が一緒なんだったら、いいよ」
この答えを聞いて、しばらく考えました。
吉方位旅行や占い相談所に一緒に行っていた友人にも、
一応聞いてみました。
友人は、
「実家のお父さんには相談した?
もし何も聞かされないまま、早まった行動をしたとしたら、
お父さんやお母さんは本当に悲しいし悔しいと思うよ。
なんで何も言ってくれなかったんだ、って。
行動するなら、相談してからでもいいんじゃない?」
子どもたちと友人の言葉で、
私は少し正気を取り戻しました。
そして実家に電話をします。
ちょっと相談したいことがある。
来週、家族で実家に帰るよ。
すると父が、
「いや、こっちからそっちに行くから。」
と言いました。
会社経営30年以上の父、詳細を話さなくても、
大体の要件はわかっていたようでした。
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