2011年3月 震災で失速 [【回顧録】借金と離婚のいきさつ]
さて、合法的粉飾決算で
なんとか700万円の資金を手に入れた2010年年末。
来年は、絶対に盛り返すぞ〜!!
これから開運するぞ〜!!と、久々に明るく年越しができました。
そして2011年。
1月、2月と、資金のバックアップがあったお陰で
商品が売れるまでのつなぎに余裕ができ、
オークションでの売買で、利益も出るようになってきました。
また、2008年以降リーマンショックで冷え込んでいた
世界経済も徐々に回復している様子で、
海外から取引先(キプロス、オーストラリア、ロシア)が
立て続けに来日し、売上に貢献してくれました。
2年以上もてあましていたヤードも、
ようやく本来の役割(解体&輸出)が再開し、
商工ローンの返済も順調に進んでいました。
このままいけば、月々利益が出て、
融資の返済とヤード家賃払っても手元に残る。
今年中には、実家への返済も始められるかも。
そんな感じで、いくらか勢いがついてきた頃。
3月11日、
東日本大震災。
オークションで売る予定の車両がいくつも手元にありましたが、
その月いっぱいはオークションは閉鎖。
仕入れ先も陸送も輸出もすべての業務が一時停止。
色々、再開し始めたのは4月に入ってからだったと思います。
その頃、利益は出始めていましたが
現金をギリギリでまわしていたので、
入金が途絶えるともうアウトです。
入金はないけど、支払はしなければならない。
こっちは、震災だろうが何だろうが、待ってくれません。
何とか私の方の事業での売上金をまわして、
入金までの期間をしのぎました。
その頃、世の中全体が自粛ムードで、
関東は実質の被害はなかったものの、ネガティブな雰囲気で覆われ、
会社も個人も大変でした。
これがきっかけで苦境に陥った経営者も多かったと思います。
しかし、うちの場合はもうずっと前から大変だった。
こういうと語弊がありますが、
まわりも大変になってくれたので、少し気が安らぎました。
ああ、大変なのはうちだけじゃないんだ、って。
ホント不謹慎です。でもそう思ってしまった。
毎日の資金繰りでアタマがいっぱいで、
感覚がちょっとおかしかったんでしょうね。
まあ、うちの場合、経営不振の原因は、
リーマンショックや円高や震災といった、世の中の要因ではなく、
明らかに元オットの無計画と楽観的見切り発車と暴走によるもの。
景気は関係のない「人災」だったわけですが(笑)
その頃は、外的要因によるもの、と信じていたので
まだまだ希望を捨てず、いばらの道を突き進みます。
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